高校生、浪人生、再受験生の誰でも、医学部や東大、難関大学への合格を可能にする勉強法を公開しています。
初めまして。当サイト編集部の高橋です。
なぜ私がこのサイトで医学部受験の勉強法を紹介するに至ったかは私の経歴を含めて綴りたいと思います。
当サイトで私自身の努力を認めてもらいたいとか、受験合格を誇示するつもりは全くありません。
天才でも、秀才でもない私が努力と良い参考書で、現役で旧帝医学部に入れたことを今苦しんでいる高校生、再受験を考えている人に知ってもらい、応援していきたいのです。
経歴を知ってもらえば普通の学生時代
私の簡単な経歴を記したいと思います。
プライバシーの観点から、学校名は伏せておきますことをご了承ください。
県立小学校
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県立中学校
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県立高校(進学校)
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旧帝医学部
こうして書くと、何の面白みのない経歴ですね笑
すみません。では、詳しく見て行きます。
小学生時代は100人中20位くらい
何も特筆して書くこともないこの時期は省こうかとも思ったのですが、学年100人の小学校の中間やや上くらいでしかなかったことを知ってもらいたくて書きます。
小学校は姉が通う一番近い県立小学校に行きました。
5,6年生のときは野球部をやっていました。
勉強は、3年生くらいまでは全くできず通知表も芳しくありません。
4年生頃から、授業をしっかり受けドリルをテスト前にやることで通知表も少しずつ上がってきました。
ただとても真面目で学級委員タイプの姉と比べると通知表はあまり良くなく自慢すべきことは何もありませんでした。
私の通う小学校も地方の小学校らしく1,2名は私立の中高一貫のところへ進学する以外みんな揃って一番近くの公立中学校へ進学します。
中学生時代は200人中15位くらい
中学校ではあまり忙しくもない部活動をやっていました。
週4で土日の片方は必ず休み。大会も2ヶ月に1度くらい。
中三の夏休み後に引退をしました。
勉強面では、中学校二年生まではそこそこ出来るくらいで、卒業までそんなに良かった覚えもありません。
私の中学校は通常、200人中上位5人が進学校へ行くくらいでした。
ですので、平均として5クラスあったのでクラスのトップのみが行ける、そんな中学です。
また定期テストは指標として平均90点以上の450点以上が頭いい人の指標でした。
私は中学2年生になるまで420点どまりで、三年生になってやっと安定して450点を越えられるようになりました。
順位を定期テスト等で発表する学校ではなかったため正確な順位は分かりかねますが、三年生の最後のほうに外部に委託してやった実力テストが15位でしたし、私の実感としてもそれくらいだったと思います。(クラスで3位くらい)
二年生のときに英語だけ塾に通い、三年生の夏休みから国数英を学びました。しかし、途中から入ったということ、ずば抜けた成績ではないためみんなが進学校を狙うハイクラスではなく、その下のクラスだったのがコンプレックスでした。
例年でしたらとても進学校へ行ける順位ではなかった私にとても大きな大きな追い風が吹きます。
それは、全県一学区制導入です。
簡単に言えば、県内すべての中学生が県で一番の進学校の目指せるということです。これによって、倍率は上がり、賢い中学生が全県から押し寄せると私は悲観してましたが蓋を開けてみると
前年倍率1.6⇒1.1に下がったのです。
400人定員の高校で12人しか落ちないという訳で、私の中学校から受験した15人全員合格しました!
長くなってしまいすみません。次にやっと高校生になります。
学年最低層で入学し学年トップクラスで卒業
高校生入学直後の実力テストで400人中390位
一生に一度吹くか吹かないかの追い風にのって合格した私は天狗になっていました。
その高くなった鼻を追ってくれたのが、入学して3日後にあった実力テストです。内容は中学三年分+αです。
ここで400人中390位でした。
しかし、まだまだ長い三年間、将来のことも全く考えていない私はぜんぜんへっちゃらでした。
部活は軽音部で、私は勉強もほったらかして遊ぶ毎日でした。
授業は寝て、定期テストは一夜漬け。
気づけば、クラスではおバカキャラ。授業中はうるさくて注意されて迷惑をかけ、テストではクラスの下から首位争いを繰り広げてました。
中学生のとき、塾で仲良くなり、一緒に毎日学校に通ってた親友はとても地頭が良く同じ勉強しない同士でも成績は全く違く才能差を感じていました。
高2の夏、すべてはあの日から始まりました。
人生で挫折したことはありますか?
私はあります。高校受験では、神風で合格したものの一応県の進学校に通い、両親のおかげで何不自由ない生活。
そんな私に人生で初めての、そして現在まで最大の挫折が訪れます。
写真で分かりますよね。笑 失恋です。
高校二年生になって始めて彼女が出来た私は完全に浮かれていました。
一緒に学校に通い、部活後に待ち合わせて帰り、わざわざ遠回りして彼女を送って帰宅。夏休みは何をしようか!って浮かれているところに別れです。
1週間のどに何も通らないくらいへこみました。
2ヶ月、何をしててもそのことしか考えられませんでした。
1年たって、やっと悲しさが収まりました。
そんな私に、部活で体を痛め競技生活リタイアした友達が勉強を誘ってくれたのです。
「一緒に地元の医学部行こう。医学部生はめちゃくちゃモてるし、六年間そんなに忙しくもなく遊べる。医者は年収も高い。みんなを見返せる。俺もお前も今はバカキャラだけど勉強すれば成績は伸びる。」
そんな金パチ先生じゃないんだからーって笑ってくださっても結構です。
理由なんてこんなつまらないものです。
ただこの日がなければ、三年生の夏くらいから焦って勉強して、どんなに良くても地元の大学にしかいけなかったと思います。
この日から、もう1人の友達を誘って、三人の下克上が始まります。
なんて、ね!笑
そんな単純に今まで、だらけてた生活は変わりませんよ。
もちろん、勉強しようと思ったのは確かですがぬるま湯につかり続けて1年半もたつ私が突然勉強なんてしようにも、どうしようもありません。
【進学校の歴史が織り成す驚異の統計学】高2の夏から勉強すれば志望校に入れる確率95%!
私の高校は、独自のアンケートから統計を取っておりその中にこんなものがありました。
【受験勉強開始時期と合格確率の相関関係。】
中を見て私は驚愕しました。高校二年生の夏から勉強を始めた人は95%の人が第一志望に合格しているのです。
信じられない、嘘だと思いました。
ただし、先輩たちには本当にアンケートをとっており、また統計も過去五年分(2000人)と信用に足るものでした。
ちなみに高校三年生から始めた人は70%ほどです。
やるなら今しかない。今やれば、絶対どの大学にも受かる。
なんていったって県一番の進学校が保障してくれているのだから。
落ちたら高校を許さない!
理不尽ですよね笑
でも、当時は真剣だったんです。ちなみに、私の体感でいいますが高校二年生から受験勉強を始め継続しきった生徒はみんな受かってます。
この日が私の正確な受験勉強開始日です。夏休みの2日前でした。
史上最強の参考書、先輩の合格体験記
2年生の私は、正直そこまで伸びませんでした。
そりゃそうです。クラスダントツ最下位、学年でもとんでもなく出来ない層。
数学の先生には、授業聞いてなかったところを見られ、前に立たされて接線を引け!もちろん、接線の意味さえ知らず恥をかき笑われる。そんな生徒でした。
高校二年生になり、1,2年生の基礎を総復習しました。
勉強をやってやるぞと誓った日から、速単と青チャートをやり始めました。
成績が目に見える形に表れたのは、三年生入るくらいのころです。
また幸運だったのは、成績が上がりだした頃くらいにその年の卒業生に合格体験記と合格体験談を聞けたことです。
受験モードにギアが入りました。
実際に東大、京大、医学部、地元国立大、その年の卒業生が1年生のころからどのように過ごし、どのような勉強をしてきたか、何の参考書を使ったのかを学校がまとめ1冊の冊子にして配られました。
理Ⅲに行った先輩の話はまったく当てにもならなかったのですが(笑)私の今いる大学の医学部に入った先輩からとても勇気をもらいました。直接は知らないのですが、入学後この話をし感謝を伝えることが出来ました。
意外にも、合格した人たちも一部を除けば三年生からギアを入れており、自分もできるんだと確信しました。
この日以来、私が勉強をしなかった日は1日。体育祭の日だけです。
志望校決定は高3の秋。実は東大に行きたかったのです。
父親が勤務医として内科医をやっている私は子供のころから周囲から医者になるのが規定路線かのように言われ続けていました。
思春期で反抗期な年頃だった私は、自分の人生を決め付けられた気がして本当に嫌で嫌でしょうがありませんでした。反発かのように将来の職業は、医者以外って書いていました。
今振り返ると、医者以外ってフリ以外の何者でもなかったんでしょうが笑
ですので、友達が医学部を目指そうといったときも実は、医者は嫌だけど、勉強すれば確かに可能性は広がるし、職業を選ぶ上で可能性を狭めたくないからという理由で勉強をともに始めたのです。
3年生になってからは真剣に志望校を考える上で東大を志望してました。
親にも真剣に相談していました。
そんな時、いつも好きな道に行きなさいといっていた父親が週刊誌の切抜きを持ってきました。
東大までの人、東大からの人。
こんなタイトルだったと記憶しています。
内容は、東大に入ることが目的だった人はこんな感じ。東大に入ることは、自分の夢をかなえるためのステップでしかないという意識高い大学生の究極版みたいな学生を取り上げていました。
確か東大在学中に弁護士の資格をとった人や、医学とコラボさせ自分の夢をかなえるためにデジタルハリウッド大学に通ってネットデザインの勉強をしてた人。
もう叶いませんでした。
私は完全に東大までの人だったのです。
東大に行ってからも進路は他の大学よりもはるかに自由に選べます。
しかし、私はそれすらも面倒だったのです。
また大学で勉強した内容とぜんぜん違うことを社会にでて職業としたくなかったこともあります。
極めつけは、NHKでやっていた肺移植のスーパードクターを見て確信しました。
これは、三年生の秋のことです。
その後、地元の医学部を目指すと母親に行ったらそれはそれは喜んでいました。
3兄弟で唯一の男子で末っ子の私を母は大好きだったので、県外に行って欲しくなかったようです。
その一ヵ月後、成績が上がったため旧帝医学部まで志望をあげたことを母は悲しんでいました。笑
まとめます。
医学部を選んだ理由
- 医師免許さえあれば食いっぱぐれないで好きなことを出来る
- 東大に行ってからまた進路を考えるのは面倒でやだ
- 医学部は勉強と職業が直結している
- 手術という数時間の作業で人の一生を救えることに感動した
- 年収が安定しており魅力を感じた
ひどい理由もちらほらありますが、これが私の素です。
合格後から今までの話。
合格前後の話は省きます。
受験前のメンタルの整え方、勉強法などなどは追って別記事で詳しく触れます。
もちろん、医学部の面接の裏事情から教授にちょちょっとリサーチしたものも入れます。
合格した後、一人暮しをすることになりました。
旧帝国大学だっただけあって田舎物の私にはとても住みやすい町です。
都会っていいですねー!
このサイトで医学部の受験勉強方法を紹介するまでに家庭教師、予備校教師として直接中学生2名、高校生4名を指導しました。
実績は、中学生の男の子は県内一の進学校に行くお手伝いをさせていただき、女の子は女子高としてトップの高校へのお手伝いをさせていただきました。
高校生も、医学部を受験する生徒たちを指導し、無事志望校に受かって子もいれば、残念ながら涙を飲んだ子もいます。
そして、直接指導はしていないのですがちょこっと数学を教えたりだとか、質問に答えたり、おすすめの参考書を紹介した生徒は数十名以上にも上ります。
その中で改めて、受験って難しいものだと感じました。
医者でなければ予備校の講師になりたかった私は、在学中のこの期間に夢を叶えていますが、関わったみんなが全員合格できずにおりもどかしく感じていました。
やはり直接指導できない人に対しては教えれることに限界があります。
また、ネットを通して多くの人に私みたいなものでも努力しだいで、難関大学に入れるということを伝えたかったのです。
【ここだけは見て】本当に医学部に行くだけの能力があったのか。
私自身の経歴の説明が長くなってしまいごめんなさい。
でも、かなりはしょって書いてますので折に触れて説明します。
さて、外面を見てもらった後は内面を見てもらいます。
褒めてもらいたくて旧帝医学部へ
私は末っ子だったのもあり、昔から人と違うことをして褒めてもらうのが好きでした。
始めは、突然部屋のベッドの位置を替え、模様替えをして家族を驚かしたり、勉強している姉にコーラと嘘をついてコーヒーを差し入れたりとかつまらないものでした。
勉強で初めてやる気を起こして取り組んだのも、人と違うことをしたい。褒めてもらいたいという思いからでした。
それは中学二年生のとき、漢検準二級をとったことです。
「もし中2で漢検準二級とれたらとんでもないことになりそう。めっちゃみんなに褒めてもらえるし、すごいといってもらえる」
進学校に行ったのも同じような理由からです。笑
友達に誘われて勉強したのも、毎日毎日勉強し続けたのも‘なにかすごいことをやってやる’、‘みんなに褒められたい’この二つが私の原動力でした。
- 今から自分のやる行動で人生を変えられる
- 1年間頑張るだけで残りの60年間を幸せなものに出来る
- バカキャラの自分がクラス一成績が良くなったらとんでもないことになるぞ
ぞくぞくするような、震え上がるモチベーションはやはり高校生だからでしょう。世界が新しくなるような感動を覚えました。
私だけじゃないです。だれでもできるのです。夢を持ちましょう。
医学部へ入ると、意外とみんなこんな理由で頑張ってることが分かりました。同級生たちについても何かヒントになるかもしれませんので、今度リサーチしてまとめます!
勉強はスコアをかけたGAMEでした
最近読んで特に気に入った本に、ホリエモンこと堀江貴文さんの「ゼロ 何もない自分に小さなイチを足していく」という本があります。
言わずと知れた時代の寵児である彼が、自分の経歴を振り返りながらどのような信念を持って成功したのかがかいてあります。
とても、モチベーションがあがりますので是非!笑
勉強に通ずるものがあり感動して読みました。
その中の一節に特に共感した言葉があります。
人はなにかに「没頭」することができたとき、その対象を好きになることができる。―――略―――没頭さえしてしまえばいつの間にか好きになっていく。
私の受験時代を振り返ってもまさにこれでした。
没頭し、勉強を好きになり、ゲーム感覚で楽しんで受験を乗り切りました。
もちろん伸び悩んで辛かったこともあります。他の人が遊んでいる中、ひたむきに勉強してて辛かったです。
でも、努力して結果が伴ったときすべてが報われた気がしました。
それが私が、三年生になって毎日欠かさず勉強を続けることができた理由です。
夢を叶える為にしなければいけない努力。避けては通れない道。なら思いっきり楽しもうってそう思えたのです。
楽しいと感じるまではすごく時間がかかりました。
ドラゴン桜で
「歯磨きをするみたいに勉強しろ!やらなかったら気持ち悪くて寝れないくらい勉強しろ!」
みたいな箇所があります。これは高校生のときに読んだ漫画のなかでのセリフなんですが、これを読んでまさに歯磨きのように勉強しました。
そして、このことが没頭するために必要なのです。
堀江さんは本の中では触れていませんが、没頭するのはとても大変なことです。嫌なことを集中して取り組むのは普通は無理です。
ですがやらなければいけないのですから、無理でもやり続けるのです。
するとだんだん楽しみに変わっていくことでしょう。
辛いのは最初だけです。勉強を自分を育てるロールプレイングゲームのようにやりこみましょう!
長くなりましたのでこのへんで!
才能なんかじゃなく、負けず嫌いなんです。笑
医学部に来るような人は同級生を見てもみんな負けず嫌いでした。
勉強を楽しめるようになれば、成績なんてすぐ伸びます。
それでは才能が取り立ててあるわけではない私ですが、どうぞこれからも当サイトを温かく見守ってください。
旧帝大医学部なら専門予備校の対策もおすすめ
旧帝大学医学部は、医学部の中でもトップレベルの難易度を誇っており、非常に高い偏差値が要求されています。
偏差値60程度で医学部合格レベルと言われていますが、旧帝大となれば70前後ないと合格が難しくなってしまいます。
そこで偏差値を大きく伸ばすためには医学部予備校などで専門的な指導を集中して受ける必要があります。
医学部予備校は私立大学医学部が多いと言う人もいますが、それは校舎によって異なってきます。
国立大学医学部の指導に力を入れている医学部予備校であれば、合格実績に旧帝大の名があがっていることも珍しくありません。
これは進学塾や大手予備校と違って、医学部予備校は厳格な学習管理を担い1日12時間以上学習で徹底的に対策していくからです。
もともと学力優秀な人なら大手予備校の医学部コースを受講したほうが経済的にも負担が軽く、授業のレベルも高いので最適です。
しかし、旧帝大医学部の合格レベルに達していない場合は、医学部予備校のような厳格な管理で勉強したほうが合格できる可能性が高まります。
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